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世界唯一!喜びの能力開発
あなたの神性を目覚めさせ、人生を全開にします
言葉の力を付ける絶対記憶
『古事記と言霊』講座
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男の本質とは何かと追求した体験談です。
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     愛に関連して、私の追及した課題であった"男の本質とは?"ということで、書かせて頂きました。

    ■姉5人、兄1人の末っ子
     
     7人兄弟の末っ子で育った私は、物心付いたことには、兄は既に就職で大阪に出ており、母と姉6人の間で育ったという感じで、小学校くらいまで、自分のことを、"わたし"と"わたし"と言って、"僕"と言わなかったようです。小学校の1年の時、学校までは姉と共に行きましたが、その後姉が離れていくのが寂しくて、抱きついて泣きわめいていました。より女性的に育ってしまった幼少期でした。

     そういう中で育ったわたしは、30歳くらいまで、男とは何かを求めた前半生でもありました。今のわたしを見て信じられないと思うのですが、20歳を過ぎてからでも、ある方から"女の腐った奴"と罵られたこともあったくらい男らしくない存在でした。


     だんだんと自覚してきたのが、小学校5年生で、多少の自立心が出来、しっかりしなきゃと何故か思い初め、勉強をし始めました。中学校では、卓球部に入り、運動神経が良い訳ではないのですが、(どちらかというと持久力があった、)マラソンにも選ばれて、大洲市の学校対抗マラソン大会で、第8区を走り、区間新記録を取ったりして、自分でも、驚いたりしました。

     中学の同級生とは、足をひっぱり合う嫌な感じの競争でなく、建設的な競争をして、何点取るかと競争して楽しく勉強していました。中学のころから、給食を食べながら、勉強をしていて、食べながら勉強するなと起こられたりと遊びに学業にと楽しい中学時代でした。

    ■新居浜高専へ

     父を亡くして、経済的な問題と大学なども良く分からなかったこともあって、また、父が四電力に勤めていたので、自然に、電気をやりたいと思っていたので、新居浜高専の電気工学科へ行きました。

     そこで、内心男らしくなりたいと思っていた自分は、何と、同室の誘いで、これも縁かと思い、学校では悪名の高かった空手部に入ることになりました。毎日うさぎ跳びを何百mと飛び、巻きわらを突いて、拳から血を流し、冬にも下着を一切着けず胴着だけで、練習をするので、足の裏は霜焼けになり、先輩から何か言われると返答する言葉は、"押忍"しかない無い中で、男を鍛えようとしておりました。3年間過ぎて、「空手初段」となり、黒帯を取り、また、体育の日にあった新居浜の小さな大会でしたが、空手の大会で優勝したりもしました。空手では、かなりの忍耐力を養うことが出来ました。
     
    ■会社生活の中で

     NECの就職して、配属して面接を受けた日、わたしは、忘れもしません、その直後トイレの中でこれからの人生に対して熱い決意を致しました。愛媛の大洲の田舎から、男一匹、東京に出てきて、本で読んだではないか"男が閾(しきい)を跨げば、7人の敵がある。"と。これから、自分の想像を越えた試練が7つはあるかも知れない。しかし、逃げないで本当に求めているものを捕まえるまで、直視して、追及して行こうと。

     そして、ますます、男の追及が始まりました。

    男とは何だと思いますかと会社の上司、同僚、知人に、聞いて回りました。
    同僚に聞くと「積極性」かなとか、ある女性に聞くと、男は、「責任感」よ。どうしても、女性は、最後は責任を持ちにくいと言われたり、上司に聞くと、「女を惚れさせる男が男だ。」と言われたりしました。

    わたしが一番感動したのが、先輩の回答でした。「男とは、男を惚れさせれる男だ。」というのです。この方は、合気道3段で、常に自然体で行動する人でした。自分は、人から見られたとき富士山のように見られたい。前からでも、後ろからでも、富士の裾野が広がっているように感じられ、誰でも、ゆったりと上ってこれる人格を作りたいとおっしゃっておりました。これを聞いて大変に感動いたしました。"男に惚れられる男"これは、現在の目標でもあります。坂本竜馬ら多くの英雄達はそのような要素を持っていたのだと思います。

    ■男の本質と遂に出会う
     
    末っ子で甘えることしかしらなかったわたしは、兄貴分的なところが何もなくて、年下の子供を話すことが不安で目を合わせて話す事すら出来ませんでした。これはなかなか本人でないと分かって頂けない心境だと思います。なぜ、話せないのかと考えて言った時、大袈裟なのですが、「この子のために、身代わりで死ねる決意をしていないからだ。」と思ったのです。例えば、年下の子と道路で話していて、車が飛び込んで来たとき、身代わりになって守ってあげられるかという心の決意がなかったからだと気付いたのです。 そういう決意をした瞬間から、今までの不安な思いが嘘のように消えて、普通に話せるようになりました。こういう心の変遷も、わたしの女性の中に育ったという特殊な環境から起こったものだと思います。

    30歳に近くなったころ、開発室の一室で、求め続けた男のイメージを自分の身体の奥底から体得した瞬間が訪れました。わたしが、精神的に男になった日と思っている日です。

    結論として、体得した男のイメージは、2文字で表すと宇宙における「主体」的な存在者だということでした。男性と女性から成り立っている人類社会に対して、何にでも、人から言われて行動する受身型の人生でなく、"積極的に"、主体的な"責任感"を持って、取り組んでいくべき存在が、「男という存在なのだ。」というものでした。

    「積極性」、主体的「責任感」等結局自分に今まで欠けていたものを、取り戻したという一瞬の時間でした。もともと男性的な方にとっては、何を思われるかもしれませんが、わたしにとっては画期的一瞬でした。

    ■男は、何を現すべきか?

    「男の本質とは何か?」を求める15年くらいの追求の中で、宇宙は、陰陽で成り立っていることを実感していました。当然、男性と女性が、交わらなければ、人類は途絶えてしまします。

    そういう中で、男は、どんな愛を現す存在なのか?女性は?

    デジ速では、子宮地球に保護されて、自然界からの私への愛を感じたとき、お母さんの胎内と同じように、宇宙を父母とした新しい魂の成長があることを発見しました。

    自然が我々に見せてくれる美が、愛の証拠なのだと思います。人間以外に、自然の美しさに感動する生物はいないのではと思うからです。犬、猫が、自然の美に感動して、起ちつくしているようなことはないと思うからです。この美はどうみても、人が見て喜んでほしいと花は咲き誇っているように感じます。

    そういう中で、男は、何を現すかというと、子には"父性愛"、妻には、"夫の愛"、兄弟には、"兄弟愛"を、現わすのかと感じております。

    この自然には、千態万象の変化美しさがあると言ってきましたが、実はそれ以上に、夫婦の愛、家族の愛にこそ、千態万象の無限の愛の姿があるように感じております。

    一度結婚すると、夫と妻という関係から、抜け出せず、夫は、妻に、「おい。お茶。」「風呂」「新聞」とか、使用人のように使ってしまうところがありますが、結婚後こそ、夫は、陽性(宇宙の男性のすべての要素の塊)であり、妻は、陰性(宇宙の女性のすべての要素の塊)なので、夫は、時として、妻に対して、お爺ちゃんになったり、お父さんになったり、夫になったり、お兄ちゃんになったり、弟なったり、息子になったりと、男性の要素(美)を、毎日、妻の状況に合わせて、表現していけば、毎日の夫婦の愛は、自然界の美以上に、千態万象の美を表現していることになり、それは楽しい生活となることでしょう。(^^♪。

    妻は、これと逆で、夫に対して、お婆ちゃん、お母さん、妻、お姉さん、妹、娘になったりと、女性の要素(美)を、毎日、夫の状況にあわせて、表現してあげると、夫は感動して仕事を3倍こなしてしまうかもしれません。毎日が新鮮で変化に富んで楽しくなります。人生という舞台で、オペラのようにどういう声を出して、演じるか、明日はこう演じて見ようと毎日違った芝居をすると夫も子供もそれは楽しみ喜んでくれると思います。「おはよう」の一言でも、オペラ風、吉本喜劇風、歌舞伎風と様々な声の出し方があり、多言語で言えば、更にバリエーションが増えます。とにかく、何でも無限の表現方法があります。(^^♪。

    妻が精神的に疲れているようであれば、夫はお爺ちゃんのようになって人生を語り(^^♪、妻がパーマに行って髪型を綺麗にしてきたことが分かると初めて出会ったときのように夫として愛を表現し、こちらが疲れているときは、息子のように甘えて、膝枕をしてもらったりと、毎日、宇宙の半分の男性と女性が、太陽と地球、地球と月のように、回りあいながら、様々な軌道上を動き回り、千態万象の美しさを現して生きれば、本当に楽しい毎日の生活になると思います。


    "家族には、植物、動物以上の千態万象の変化する喜びの生活がある。"デジ速的に言えば、それを表現する基本が、"音声"ですので、"愛しているよ""綺麗だね""お疲れ様"とか心の篭った語り掛けが、愛を深めてくれます。

    そのような父母の後姿を見て育つ子も多分、感情の豊かな子として育ってくれるように思います。



    posted by: | 【柱2.愛】配偶者と子を得て、家族愛を成就する | 01:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
    プログを始めるにあたって
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      ●プログを始めるにあたって

       2010年4月1日で、脳力全開の発売を始めて、10年目に入ります。

       その間、神様の保護を受け、多くの方に助けられて参りました。
      多くのすばらしいユーザ様に出会い、ユーザ様が代理店にもなって下さいました。
      皆様に誠に感謝致しております。


       本当に何の開発資金も力もなかった私がこのように9年間この仕事を続けられたことそのものが神様に守られた脳力全開ライフそのものであったと思う次第でございます。

       意識革命がおこると言われている2012年が近づき、脳力全開も10年目に入るに伴い、プログからも、神様が"脳力全開"に願われている社会に果たすべき役割を発信して行った方が良いのではないかと考えました。

       まだまだ足りないところだらけですが、劇的な効果が起こった多くのユーザ様がいらっしゃることも事実です。

       ここで発信する脳力全開情報が、皆様の人生にお役に立てれば望外の幸せでございます。

      ●私の生い立ち 

       自分の事で恐縮なのですが、私は、7人兄弟の末っ子として生まれて来ました。姉が上に5人いたため、また、今度も女の子かと思い、降ろされそうなところを、神仏にお祈りされて、大丈夫今度は男の子だから"と言われ、生まれて来たそうです。生まれてみると私の誕生日が、昭和30年3月13日午前3時30分であり、年も月も時間も分も四柱推命でいう4つの柱にすべて3の数が付いていました。3の数は天の数と言われますので、物心ついたときからお前は何か天命があって生まれて来たと良く言われて育って来ました。そのため、数理性と人生ということも無意識的に追求しながら成長して来ました。脳力全開の根幹も、そういう生い立ちに基づいています。ある数理性に従いながら、私の人生の大きな転機となった神様との対話の体験談を聞いて頂けたらと思います。
       
      ●脳力全開開発に繋がった私の劇的な神様と対話の体験

       私は、新居浜高専を出て、日本電気に入社しました。日本電気では、入社3年目でフランスからの技術導入の技術リーダとして選んで頂き、フランスへ40日間、技術研修に行ってきました。5年10ヶ月間大企業としての教育を受けさせて頂きました。その後、ベンチャー企業に人り、到底自分の持っている能力を遥かに超えた開発プロジェクトを与えられ、自分の能力の限界と真っ向から向かい合う機会を与えられました。

       ある時、文字認識の開発テーマを与えられて開発を行っている時でした。何度もいつまでに出来ますと約束しながら、その納期が来て見ると出来ておらず、周りに対する申し沢無さと約束した納期に開発できない自分に対する情け無さで、自分は「もう駄目だ・・・」と何度そう思ったか分かりませんでした。ある日、開発のプレッシャーに疲れ果てた私は、とうとう3日間くらい行方をくらましてしまったのです。一日目、二日目と知り合いを訪ね歩いていました。丁度その頃、そのうちの一人で深い海を調査する深海調査船の開発のプロジェクトリーダーを担当され、2年間の開発期間で見事に成功された方と知り合っていて、興味深い話を伺う事が出来ました。2年間という予め設定された開発期間がありながら、様々な手を打ち、一日の狂いもなく、それを完成させていった話を伺う事が出来ました。

       3日目の朝、40分間程瞑想していた時、私は、潜在意識の深いところでこの宇宙を創造された神様の声を聴いた気がしました。「私も天地創造では多くの苦労をした。特に納期の管理には気を配った。天地創造の最期には、愛する息子と娘である人間を創りたかったがそこに至るまで、ビッグバンから始まって、原子を作り、分子を創り、銀河系を作り、太陽系を作り、地球を作り、子供達が地上で無事に生活が出来るように、食べ物を準備し、景色も寂しくないように様々な植物を準備し、遊び友達として海の中にも、陸にも様々な生き物を準備しなければならなかった。それをどういう数理性で創造していくかなかなか大変であったと言われるのです。

       しかし、心配するなと続けて言われました。お前の身体には、私の子供として、私が120億年掛けて創造して来た天地創造のすべてのノウハウを埋め込んでいる。おまえは自分自身がそれに気付くだけで、不可能と思える創造も出来るようになって生まれてきているのだ。だから、心配するなと。私は、おまえがひとりで開発に思い悩む姿を見たいのでは無い。創造は自分の価値に気付くだけでだれでも出来るように創られている。

       そんなことよりも、私が何故お前達を生み出したかというと、人が人を研究する事が最高の学問であり、人と人と交わる事が最高の芸術と言われるように、人と人が暖かく交わるところが見たいのだ。友人が友人に、親が子に、夫が妻に大丈夫かと優しく声を掛ける姿、それが最高の芸術作品であるとおっしゃいました。

       その事が契機となって、私は、開発に対する恐れが無くなり、自分以外に解決を求める事をやめて、自分の内部を深く見つめるようになりました。今、地上に存在しないような完全な無から有を生み出す創造に対して、一切の恐れがなくなり、自分自身は何でも創造できるように創られているのだと自然に思うようになりました。この体験談で、ご説明したいことは、神様みずからが、創造に悩む我が子を見て、ご自身の天地創造を振り返り、宇宙をある数理性に基づいて創造した一端を語ってくださった事です。

       このような神様との対話の体験が、"脳力全開"開発の基礎にありました。

      posted by: | その他 | 13:27 | comments(0) | trackbacks(0) |